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はじめに / 第8章

名所の緑

東京の緑の名所は、どれも成り立ちが違います。江戸の大名屋敷だったところ、軍の土地だったところ、治水のための溜池だったところ。木を見るときに土地の歴史を知っていると、なぜその木がそこにあるのかがわかります。

この章では、名所の森と庭、街の緑、記憶と行事の木の三つに分けて紹介します。

名所の森と庭

一覧

名所広さ土地の前身木の見どころ
高尾山
八王子市・国有林
—戦後に国有林。1967年に明治の森高尾国定公園[1]北斜面のブナ・イヌブナとモミ、南斜面のカシ類・スダジイ。植物は約1,600種[1]
新宿御苑
新宿区・渋谷区・国民公園
約58.3 ha[2]高遠藩内藤家の屋敷→明治5年に内藤新宿試験場→1949年に国民公園[3]1万本を超える樹木[2]。ユリノキ、モミジバスズカケノキの巨樹[3]
代々木公園
渋谷区・都立
約54 ha[4]陸軍の練兵場→在日米軍施設→1964年東京五輪の選手村→1967年開園[5]約10万本の人工林、ケヤキ約1,000本、イチョウ並木260本[5]
水元公園
葛飾区・都立
約92 ha[6]享保14年(1729)に治水のためにつくられた溜池「小合溜」の水辺[6]メタセコイアの森1,800本、ポプラ並木1.2km、水辺のハンノキ[6]
浜離宮恩賜庭園
中央区・都立
約25 ha[7]将軍家の鷹狩場→甲府藩の浜屋敷→将軍家の別邸「浜御殿」→離宮→1946年公開[7]六代将軍家宣の時代に植えられた「三百年の松」[7]
林試の森公園
品川区・目黒区・都立
約12 ha[8]明治33年(1900)の目黒試験苗圃→林業試験場→1978年に筑波へ移転→1989年開園[8][9]樹齢100年を超える大木。高さ35.5mのポプラ、幹周3.82mのケヤキ[8]
自然教育園
港区白金台(目黒駅近く)
—中世の豪族の館→高松藩松平家の下屋敷→火薬庫→白金御料地→1949年に天然記念物・史跡[10]スダジイ・カシ・マツなどの常緑樹と落葉樹の森。「物語の松」[10]
駒場野公園
目黒区
約3.9 ha[11]明治の駒場農学校→東京教育大学農学部→1986年開園[11]北国・関東関西・南の国の林を植え分け。桜19品種[11]
井の頭恩賜公園
武蔵野市・三鷹市・都立
約42.8 ha[12]江戸の水源→明治に帝室御料林→大正2年(1913)東京市に下賜→大正6年開園[12]樹木約2万本[12]。明治初期に植えた杉林が戦時中に伐られ、戦後は桜[13]
新宿中央公園
新宿区・区立
約8.8 ha[14]淀橋浄水場の跡→1968年に新宿副都心計画の一事業として開園→1975年に区へ[14][15]高遠コヒガンザクラ[15]、ビオトープ[14]
目黒川の桜並木
目黒区ほか
約3.8 km川沿いの並木[16]ソメイヨシノ約800本[16]
国会前庭
千代田区
—国会議事堂の前庭[17]全国の都道府県の木。議事堂より古い大イチョウ[17]

地図

区部の緑 概略図隅田川目黒川東京湾皇居1新宿御苑2代々木公園3明治神宮4水元公園5目黒川の桜並木(中目黒)6国立競技場7農林水産省8木場公園9新木場10浜離宮恩賜庭園11林試の森公園12自然教育園13駒場野公園5 kmN ↑

区部の緑の位置。市区町村の形は国土数値情報(行政区域データ、国土交通省)をもとに作成、川筋は概略です。高尾山は西へ約40kmのため、トップページの地図に載せています(番号5)。

高尾山:二つの森の境目

高尾山は、冷温帯と暖温帯の森が出会う山です。北の斜面ではブナやイヌブナ、カエデ類などの落葉広葉樹にモミやアカマツが混じります。南の斜面には、カシ類やスダジイ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹とモミが生えています。[1] 日本に約4,700種ある植物のうち、約1,600種が高尾山にあるとされます。戦後は国有林として管理され、1967年に明治の森高尾国定公園になりました。年間の登山者は300万人を超えます。[1] ふもとの高尾山口駅は第5章、モミの保護林は第2章で紹介しています。

新宿御苑:屋敷から試験場、そして公園へ

江戸時代には信州高遠藩主・内藤家の屋敷の一部でした。明治5年(1872)に内務省の「内藤新宿試験場」となり、農作物や園芸植物を育てる試験の場になります。昭和24年(1949)に国民公園として一般に公開されました。[3] 面積は約58.3ヘクタールで、1万本を超える樹木があります。[2]

巨樹幹周樹高樹齢
モミジバスズカケノキ6.30 m26 m120年以上
ユリノキ(シンボルツリー)4.91 m35 m120年以上
ハルニレ3.83 m22 m120年以上
ラクウショウ3.37 m25 m120年以上
ハクモクレン2.38 m14 m150年以上(江戸時代からの名木)

出典:環境省 巨樹・巨木林データベース 観察コースガイド「新宿御苑」[3]

ユリノキ、モミジバスズカケノキ、ラクウショウは、どれも外国から来た木です。試験場として外国の植物を育てた歴史が、いまの巨樹の顔ぶれに残っていると読めます。

日本庭園の池のほとりには、旧御涼亭(通称「台湾閣」)が建っています。昭和2年(1927)に建てられた木造の平屋で、中国南部の閩南(びんなん)風の建物です。東京都の選定歴史的建造物になっています。[18]

木の欄干ごしに見る日本庭園の池と、刈り込まれた松や樹木
旧御涼亭(台湾閣)の欄干から見た日本庭園の池。2020年9月22日、筆者撮影。
太い幹の木のまわりの地面から、とがった根が何本も突き出している
ラクウショウと、まわりの地面から何本も突き出した「気根」。2020年9月22日、筆者撮影。
青空の下、広い芝生の奥に刈り込まれた常緑樹が並ぶ
新宿御苑の芝生と、奥に並ぶ常緑樹。2020年9月22日、筆者撮影。

代々木公園:軍用地から生まれた森

戦前は陸軍の演習場、戦後は在日米軍の施設、1964年の東京オリンピックでは選手村として使われた土地です。1967年10月20日に開園しました。[4][5] 約10万本の木からなる人工の森で、ケヤキは並木と園内を合わせて約1,000本、桜は約700本、イチョウ並木は260本あります。[5] 隣の明治神宮の森(第5章・第4章)とひと続きの緑になっています。

冬に訪れると、松には雪吊りやこも巻きがされ、落葉樹は葉を落として、夕日が枝のあいだから差し込んでいました。

芝生の斜面に立つ松。幹にこもが巻かれ、雪吊りの縄が張られている
雪吊りとこも巻きをした松。2021年2月4日、筆者撮影。
葉を落とした大きな木々の枝のあいだから夕日が差し込む園路
葉を落とした木々と夕日。同じ日、筆者撮影。
落ち葉に覆われた林の中に立つ太い松の幹。幹に緑のテープが巻かれている
落ち葉の積もった松林。幹に緑のテープが巻かれている。同じ日、筆者撮影。

水元公園:都内でただ一つの水郷

葛飾区にある約92ヘクタールの公園で、東京都内で唯一、水郷の景色をもつとされます。[6] 公園は「小合溜」という溜池に沿ってつくられました。小合溜は享保14年(1729)に治水のために造られた人工の溜池で、周りの村々に水を送る水源だったことから「水元」の名がつきました。[6]

木の見どころは水辺にあります。1,800本のメタセコイアの森、1.2kmのポプラ並木、そして湿った土地に強いハンノキです。[6]

浜離宮恩賜庭園:海の水を引く将軍の庭

始まりは1654年、将軍家の鷹狩場でした。甲府藩主の松平綱重が海を埋め立てて別邸「甲府浜屋敷」を建て、子の綱豊が六代将軍家宣になると、将軍家の別邸「浜御殿」になります。歴代将軍が手を加え、十一代家斉の時代にほぼ今の姿になりました。明治以降は皇室の離宮となり、1945年11月に東京都に下賜され、1946年4月から公開されています。広さは約25ヘクタールで、1952年に特別名勝・特別史跡に指定されました。[7]

庭の中心は、海水を引き入れて潮の満ち干で景色が変わる「潮入の池」です。いまも東京湾の水位に合わせて水門を開け閉めしています。入口近くの「三百年の松」は、家宣が浜御殿を大きく改修したとき、その業績をたたえて植えられたと伝わります。[7] 埋め立てでつくった土地(第6章)に、300年生きてきた松が立っていることになります。

芝生のあいだを通る砂利の園路。縁に木の杭が並び、両側に大きな木が立つ。奥に高層ビル
浜離宮恩賜庭園の園路。縁に並ぶ木の杭と、まわりの木々。奥は都心の高層ビル。2020年10月21日、筆者撮影。

林試の森公園:林業の研究所だった森

品川区と目黒区にまたがる約12ヘクタールの公園です。明治33年(1900)に「目黒試験苗圃」として開かれ、のちに国の林業試験場(いまの森林総合研究所)になりました。昭和53年(1978)に試験場がつくば市へ移った後、跡地が公園として整えられ、平成元年(1989)に開園しています。[8][9]

試験場の時代に植えられた木が、そのまま大木になっています。樹齢100年を超える木が多く、幹周3.82mのケヤキ、高さ35.5mのポプラ、絶滅危惧種のハナガガシなど、珍しい木も植えられています。[8] 東京にある「林業の歴史そのもの」を歩ける場所です。

目黒駅の近くの二つの森

自然教育園(港区白金台)は、目黒駅から歩いて7分ほどの場所にあります。中世には豪族の館があり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治には陸海軍の火薬庫、大正からは皇室の白金御料地でした。長く人が立ち入らなかったために自然が残り、昭和24年(1949)に天然記念物と史跡に指定されて公開が始まりました。スダジイ、カシ、マツなどの常緑樹と落葉樹が混じる森で、高松藩時代の「物語の松」とひょうたん池、豪族が築いた土塁も残っています。[10]

駒場野公園(目黒区駒場)は、明治に農業の近代化のためにつくられた駒場農学校の跡地です。1881年に来日したドイツ人教師ケルネルが土や肥料の研究をした試験田が「ケルネル田んぼ」として残り、いまも近くの中高生が米づくりを続けています。東京教育大学農学部が1978年に筑波へ移った後、約3.9ヘクタールの公園として1986年に開園しました。園内には北国の林、関東・関西の雑木林、南の国の林が植え分けられています。[11]

林試の森も駒場野公園も、国の研究・教育機関が筑波へ移った跡地から生まれた緑です。

井の頭恩賜公園:杉の水源林から桜の公園へ

井の頭池は、江戸の水源として江戸時代から知られた景勝地で、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれました。明治時代に皇室の御料林となり、大正2年(1913)に東京市へ下賜されます。大正6年(1917)5月1日、日本で最初の恩賜公園、最初の郊外公園として開園しました。いまの開園面積は約42.8ヘクタールで、木は約2万本あります。[12]

戦前の池のまわりは、明治の初めに東京府が植えた杉の水源林(水を蓄える森)で、うっそうとしていました。ところが戦争中に、棺桶をつくるために多くの杉が伐られ、戦後は桜が多く植えられるようになったと紹介されています。[13] 水を守るための杉林が、戦争で失われ、花見の名所に変わった。井の頭の景色は、林業と戦争の歴史を映しています。

新宿中央公園:浄水場の跡に育った森

新宿中央公園は、淀橋浄水場の跡地に、昭和43年(1968)に新宿副都心計画の一事業として開かれました。[15] 都立公園として開園し、昭和50年(1975)に新宿区に移されました。広さは約8.8ヘクタールで、区内でいちばん大きな区立公園です。[14] 春には、新宿区の姉妹都市・長野県伊那市の「高遠コヒガンザクラ」が咲きます。[15] 園内には在来の植物や生き物のためのビオトープがあり、2026年2月にはウッドチップを敷いた広場のある「フラワーフォレスト」もできました。[14]

開園から半世紀あまりで、超高層ビルの足元に厚い木の層が育ちました。上から見ると、道路をはさんで緑がひと続きの森のように見えます。

高層ビルの上から見下ろした新宿中央公園。道路の両側に濃い緑の木々が広がり、奥に新宿パークタワーが立つ
西新宿の高層ビルから見下ろした新宿中央公園。奥は新宿パークタワー。2020年9月21日、筆者撮影。

筆者が訪れた2020年10月には、園内で改修工事が行われていました。木を伐った跡の地面には林業用の重機が入り、別の場所では植えたばかりの木が木の支柱で支えられていました。公園の森も、伐っては植え直す手入れの中で保たれています。

木を伐り払った跡の地面に、オレンジ色の重機が入っている
改修工事中の新宿中央公園。木を伐った跡に林業用の重機が入っている。2020年10月12日、筆者撮影。
高層ビルの足元の園路沿いに、木の支柱で支えられた植えたばかりの木が並ぶ
植えたばかりの木を木の支柱で支えている。同じ日、筆者撮影。
高い所から見下ろした公園。芝生の広場のまわりを木々が囲み、奥に住宅とビルが広がる
上から見た新宿中央公園の芝生の広場。2020年10月12日、筆者撮影。
高い所から見下ろした冬枯れの公園。赤茶色に色づいた針葉樹と葉を落とした木々、左手に工事中の区画、遠くに富士山
12月の新宿中央公園。落葉する針葉樹が赤茶色に色づき、ほかの木も葉を落としている。左手では改修工事が続く。遠くに富士山。2020年12月24日、筆者撮影。

2022年4月に筆者が再び訪れると、園内の高木の多くが大きく切り詰められていました。背の高い針葉樹は先端を止められ、横枝をほとんど落として幹だけのような姿になっていました。広葉樹は太い枝の途中で切られ、切り口の近くから細い枝がほうき状に出ていました。幹に布を巻いた木もありました。なぜこの時期にここまで切ったのかは、区や公園の管理者の資料では確かめられていません。

横枝をほとんど落とされ、先端も止められて幹だけのようになった背の高い針葉樹。まわりには枝の残る同じ形の木が並ぶ
横枝を落とされ、幹だけのようになった針葉樹(左右の木と同じ種類とみられる)。2022年4月6日、新宿中央公園で筆者撮影。
太い枝の途中で切られた広葉樹が何本も並び、切り口にこぶができている。奥に高層ビル
太い枝の途中で切られた広葉樹。樹種は確認していない。同じ日に筆者撮影。
枝先を切り詰められ、切り口から細い枝がほうき状に伸びた木。奥に高層ビル
枝先を切り詰めた跡から、細い枝がほうき状に伸びている。同じ日に筆者撮影。
三つに分かれた幹が布で巻かれ、ひもで留められている。幹の先は切られ、切り口から細い枝が出ている
幹を布で巻いた木。幹の先は切られ、切り口のまわりから細い枝が出ている。同じ日に筆者撮影。

太い枝を途中で切る強い剪定には、代償があります。国土技術政策総合研究所の研究は、強剪定のあとには萌芽枝が大量に出て樹冠が乱れ、大枝を切った大きな傷から腐朽が入り込み、木の健全性が失われて樹形の崩壊につながると指摘しています。[19] 一方で、都市の公園では、落ちる枝や倒れる木の危険を減らすために切ることもあります。新宿中央公園でどちらを重く見たのかは、管理者に確かめる必要があります。

枝が落ちる危険は、実際に目にすることがあります。2024年11月の夜、西新宿の歩道では、街路樹の下に折れた枝が散らばっていました。人が歩く場所の上に大きな木があるかぎり、切ることにも、切らないことにも、それぞれの危険があります。

夜の歩道に立つ街路樹。根元のまわりの舗装に、折れた枝が散らばっている
夜の西新宿の歩道に立つ街路樹。根元のまわりに折れた枝が落ちている。2024年11月3日、筆者撮影。
石畳の歩道に、長さの違う折れた枝が何本も落ち、葉も散っている
歩道に落ちた枝。太い枝も混じっている。同じ場所で筆者撮影。

1か月後の2022年5月に上から見ると、園内は若葉に覆われていました。ただし、葉が戻ったことは、強い剪定の影響がなかったことを意味しません。上の研究が指摘する萌芽枝の大量発生は、切ったあとに細い枝と葉が一斉に茂るという形で現れるからです。

高層階の窓から見下ろした新宿中央公園。若葉の木々が広場を囲み、奥に高層マンションと街並みが広がる
高層階の窓から見た新宿中央公園。剪定から1か月後で、木々は若葉に覆われている。2022年5月4日、筆者撮影。
広い芝生の向こうに新緑の木々と東京都庁の高層ビルが立つ
新宿中央公園の芝生広場と東京都庁。2022年5月5日、筆者撮影。

同じ時期、園内の「ちびっこ広場」では再整備工事が行われていました。現地の掲示によると、発注者は新宿区みどり土木部みどり公園課です。工期は令和3年(2021)11月中旬から令和4年(2022)10月中旬までで、乳幼児用の遊び場の新設や大型すべり台の再整備などを行う工事でした。4月の剪定がこの工事と関係があるかは、掲示からは分かりません。

工事の内容は、2022年5月5日に筆者が撮影した掲示「ちびっこ広場再整備工事のお知らせ」「遊具エリアの一部閉鎖のお知らせ」によります。

日比谷公園:練兵場の跡の洋風公園

日比谷公園は、陸軍の練兵場の跡地に明治36年(1903)に開かれた、日本で最初の西洋風の近代公園です。面積は16ヘクタールで、樹齢約500年と推定される「首かけイチョウ」をはじめ、数多くの木が植えられています。2023年9月からは区域ごとに改修工事が進められています。[20]

官庁街と銀座・有楽町のビルに囲まれながら、園内には高い木の下にシダが茂る、林のような場所があります。

高い木々の幹が並び、上は若い緑の葉で覆われ、足もとにシダや低木が茂る
日比谷公園の木々。高い木の下にシダや低木が茂る。2022年9月5日、筆者撮影。
木々とシダに囲まれた石畳の園路に、霧のような水が漂っている
日比谷公園の園路。木とシダに囲まれた道に霧状の水(ミスト)が漂っていた。同じ日に筆者撮影。
木陰の向こうに噴水と円形の花壇があり、地面に木漏れ日が落ちている
日比谷公園の噴水と、まわりの木陰。2023年7月10日、筆者撮影。
時計塔のあるれんが色の建物の手前に、こんもりと茂った公園の木々
日比谷公会堂(市政会館)と公園の木々。同じ日に筆者撮影。

ホテルの中の庭:ニューオータニの日本庭園

紀尾井町のホテルニューオータニには、約1万坪の日本庭園があります。江戸時代初めには加藤清正の下屋敷があり、加藤家が改易されたあとは井伊家の中屋敷として幕末まで使われました。その後は伏見宮の邸宅となり、マツやクスノキに包まれた庭園として知られるようになりました。[21]

池のほとりに枝を低く張ったモミジと松、奥に石灯籠と茂った木々
ホテルニューオータニの日本庭園の池。2023年6月25日、筆者撮影。
白い砂を敷いた庭に石と刈り込んだ植え込みが置かれ、奥にホテルの建物が建つ
砂と石の庭と、奥のホテルの建物。同じ日に筆者撮影。

街の緑

街路樹:東京には100万本

都内の道路に植えられた高木の街路樹は、令和5年4月1日現在で1,000,546本です。その6割余りの645,875本を都道、206,451本を区道、123,986本を市町村道、24,234本を国道が占めています。[22]

単位 本。上位10種。ハナミズキを100とした長さで描いています。出典:東京都建設局「東京の街路樹 総括表」[22]

上位10種でも全体の3割ほどにとどまり、街路樹には多くの種類が使われています。[22] 1位のハナミズキは北アメリカの木で、1915年にアメリカから贈られた木が国会前庭にあります。[23]

街路樹は、木陰をつくるだけではありません。冬の都心では、幹や枝に電飾を巻いて通りを照らすイルミネーションの「台」にもなります。立ったまま、人の目を楽しませる使われ方です。

夜の通り。街路樹の幹と枝に白と青の電飾が巻かれ、奥まで光の並木が続く
日本橋三越本店と日本銀行本店のあいだの通りの街路樹。幹と枝に電飾が巻かれている。2020年11月7日、筆者撮影。
夜の交差点。街灯に照らされた街路樹の緑が浮かび、奥に高層ビルが並ぶ
夜の街路樹。街灯の光で葉の緑が浮かび上がる。奥は新宿パークタワー。2021年7月4日、筆者撮影。

同じ冬の街では、木そのものを白いネットで包んだ姿も見かけます。筆者が池袋で見た木は、冬越しのために枝葉ごとネットで覆われ、その向こうの街路樹にはイルミネーションがともっていました。

夜の広場で、枝葉ごと白いネットに包まれ、ひもで縛られた木。奥には青白い電飾を巻いた街路樹が並ぶ
冬越しのためにネットで包まれた木。奥の街路樹にはイルミネーション。2024年2月24日、池袋で筆者撮影。

ビルの谷間では、壁や柱そのものを緑で覆う「壁面緑化」も見られます。丸の内の三菱一号館美術館は、1894年にジョサイア・コンドルが設計した三菱一号館を復元し、2010年に開館した建物で、中庭には約40種の古いバラを植えた英国風の庭があります。[24] 旧岩崎邸(第5章)と同じ設計者です。中庭のカフェの脇には、つる植物で覆われた太い柱が立っていました。

中庭のカフェのテラス席。左につる植物に覆われた太い柱、奥にれんが造りの三菱一号館と冬枯れの木々
三菱一号館美術館のカフェと中庭。左はつる植物で覆った壁面緑化の柱、奥はれんが造りの三菱一号館。2021年2月17日、筆者撮影。

緑は建物の中にもあります。新宿パークタワーの39階から52階に入るホテル「パーク ハイアット 東京」の41階、ガラス張りのアトリウムにある「ピーク ラウンジ」には、竹が林のように植えられていました。[25]

高層階のガラス張りの吹き抜けに、細い竹が林のように立ち、足もとを細長い葉の下草が覆う
パーク ハイアット 東京のピーク ラウンジの竹。2024年3月8日、筆者撮影。

竹が本物か、どのように育てているかは確認していません。

同じ西新宿の京王プラザホテルでは、レストランの大きな窓の外を、夏の木々の緑が埋めていました。

レストランの大きなガラス窓の外いっぱいに、夏の木々の緑が広がる。手前にテーブルと椅子
京王プラザホテルのレストランの窓から見た木々。2024年8月1日、筆者撮影。

土地の値段が高い場所ほど、緑に使う面積は贅沢になります。渋谷区松濤の戸栗美術館は、伊万里・鍋島などの陶磁器を集めた美術館で、1987年に開館しました。[26] 入口のわきには、マツや植え込みに石を据えた庭が設けられています。筆者は、地価の高い住宅地で、建物を建てずに緑の空間として見せることそのものが、演出になっていると見ています。

れんが色のタイル張りの建物の角に、石積みの台と「戸栗美術館」の銘板。歩道沿いに街路樹
戸栗美術館の外観。2026年7月12日、筆者撮影。
マツの幹と刈り込んだ植え込み、白い砂利に据えた岩や石像、大きな壺が並ぶ庭
美術館の庭。マツと植え込み、岩が配されている。同じ日に筆者撮影。

六本木の東京ミッドタウンは2007年3月に開業した複合施設で、設計にはSOMや隈研吾建築都市設計事務所などが加わりました。[27] 館内の吹き抜けには竹が植えられ、木の色の格子や手すり、段々状の木のベンチが、ガラス越しの緑と組み合わされています。

何層にも重なる吹き抜けに竹が植えられ、各階の手すりに木の色の格子が並ぶ
東京ミッドタウンの吹き抜けに植えられた竹。2026年8月30日、筆者撮影。
木の段々状のベンチの先に大きなガラス窓があり、外の木々の緑が見える
段々状の木のベンチと、窓の外の緑。同じ日に東京ミッドタウンで筆者撮影。

格子やベンチが無垢材か、木目を貼った材か、竹が本物かは確認していません。

名のある並木

並木樹種中身
神宮外苑いちょう並木
港区・新宿区
イチョウ146本を9m間隔で4列、長さ300m。明治41年(1908)から苗を育て、大正12年(1923)に完成。造園家・折下吉延の設計[28]
表参道のケヤキ並木
渋谷区・港区
ケヤキ青山通りから明治神宮までの約900m[29]
馬場大門のケヤキ並木
府中市
ケヤキケヤキ並木として国の天然記念物に指定されている、国内でただ一つの例[30]

神宮外苑のいちょう並木には、絵を描くような工夫があります。青山通り側の木を高く、奥へ行くほど低くなるように整えることで遠近法の効果を生み、並木の先に聖徳記念絵画館が美しく見えるように設計されました。[28] 木の高さそのものを、景色をつくる道具として使った例です。

噴水池の向こうに、円すい形に刈り込まれたイチョウが道の両側に並ぶ
神宮外苑いちょう並木。絵画館前の噴水池から青山通りの方を見た、本文とは逆向きの眺め。イチョウが円すい形にそろえて刈り込まれている。2020年9月20日、筆者撮影。
青空の下、円すい形のイチョウが道沿いに並ぶ。手前の木は緑で、奥の木ほど黄色く色づいている
色づき始めた神宮外苑いちょう並木。手前の木はまだ緑で、奥の木ほど黄色い。2021年11月8日、筆者撮影。

神宮外苑の再開発と伐採への反対

いちょう並木のある神宮外苑では、大規模な再開発が進んでいます。事業者は三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事の4者で、神宮球場と秩父宮ラグビー場を建て替え、高層ビルを建てる計画です。東京都は2023年2月17日に事業の施行を認可しました。[31]

曇り空の下、六本木の高層階から見た都心。手前に青山霊園の緑、中ほどに国立競技場と外苑の森、遠くに新宿の高層ビル群
六本木の高層階から外苑・新宿方面を見る。手前の緑は青山霊園、中ほどの楕円の屋根が国立競技場で、そのまわりが外苑の森。奥に新宿の超高層ビルが並ぶ。2023年6月23日、筆者撮影。

計画が知られると、樹木の伐採に反対する声が広がりました。2023年2月以降、都に計画への支持を撤回するよう求める署名は22万5千筆を超え、同年9月には国際記念物遺跡会議(イコモス)が、文化遺産の取り返しのつかない破壊につながるとして「ヘリテージ・アラート」を出しました。[32]

伐る木の本数は、何度か見直されています。都のファクトシートでは、2021年8月の評価書案で971本だった伐採本数が、2022年8月の答申時点で556本、2024年9月30日の変更で511本に減りました。木の総数は、事業前の1,904本から事業後は2,304本に増える計画です。[31] 三井不動産は2024年9月、高さ3m以上の高木の伐採を743本から619本に減らす見直し案を公表しています。数え方が都の資料と異なるため、本数は一致しません。[33]

いちょう並木は4列とも残す計画です。根の調査をもとに、新しい野球場の建物を並木から離す幅を約8mから約18.3mに広げました。[31] それでも保全を求める側は、問われているのは伐る本数ではなく「樹木の保全の質」だとし、歴史のある木は植えられた場所にそのまま残すべきだと主張しています。[34]

伐採は2024年10月28日に始まりました。[35] 裁判も続いています。周辺住民ら82人が樹木の伐採許可の取り消しを求めた訴訟で、東京地裁は2026年5月、訴えを退けました。[36] 事業の施行認可の取り消しを求める別の訴訟は、2026年9月15日に東京地裁で結審し、判決は2027年1月28日に言い渡される見通しです。[37]

青空の下、円すい形のイチョウが道の両側に並び、すべて黄色く色づいている。道には人と自転車
黄葉した神宮外苑いちょう並木。2022年11月11日、筆者撮影。
太い幹の樹皮が縦に裂け、内側の赤茶色の材が見えている木。奥に道路と観光バス
外苑で見た、幹の樹皮が裂けて中が見えている木。2023年6月23日、筆者撮影。

筆者の見方

筆者は個人的には、再開発で木を植え替えることに賛成です。2023年6月に外苑を歩いたとき、剪定の状態がよくなく、傷や欠陥のある木が少なからず目につきました。そうした木を植え替えるのであれば、よいのではないかと考えています。

つる植物に覆われた木。太い枝を切った跡が赤茶色に変色し、切り口のまわりから細い枝が出ている
太い枝を切った跡が変色し、幹はつる植物に覆われている。2023年6月23日、外苑で筆者撮影。
見上げた枝の先端に、切った跡が朽ちて穴だらけになった部分がある
枝を切った跡が朽ちている。同じ日に外苑で筆者撮影。
柵の向こうの植え込みに、折れて枯れたサクラの枝が倒れかかり、ロープが張られて「注意」の貼り紙が付いている
幹が折れたサクラ。立ち入らないよう求める注意書きとロープが張られていた。同じ日に外苑で筆者撮影。

ただし、これは筆者が歩いて見た範囲での印象で、外苑の木全体の状態を調べたものではありません。写真の木が伐採の対象に入っているかも確かめていません。傷んだ木は、植え替えなくても、適切な剪定や手当てで残す道もあります。反対する側が問うているのも、まさにその「保全の質」です。

目黒川の桜並木

池尻大橋から亀の甲橋まで約3.8kmの川沿いに、ソメイヨシノが約800本並びます。[16] ソメイヨシノは、昭和59年(1984)に東京都の花に決まりました。[38]

緑道:玉川上水

玉川上水は、江戸の町に水を引くために掘られた水路です。承応2年(1653)に工事が始まり、羽村の取水口から四谷大木戸まで約43kmを結んで、翌年から水を送りました。[39]

年できごと
1653 承応2開削工事が始まる。翌年給水開始[39]
1737 元文2川崎平右衛門定孝が幕府の命で、小金井橋を中心に両岸へ桜を植えたと伝わる(小金井桜)[39]
1924 大正13「小金井(サクラ)」が名勝に指定[39]
1971 昭和46土手の上を緑道とする計画が決まる[39]
1981 昭和56都立玉川上水緑道が一部開園(平和橋〜牟礼橋)[39]
2003 平成15玉川上水が国の史跡に指定[39]

水を運ぶための土木施設が、桜の名所になり、やがて緑道になりました。江戸の水の道が、いまは緑の道として多摩から都心近くまでつながっています。

記憶と行事の木

戦災を生き延びた木

都内には、空襲で焼けながら今も生きている木が残っています。23区を調べた研究では、474本の候補のうち、証言などで「戦災樹木」と確定できたものが200本、推定されるものが150本ありました。上野公園には確定した戦災樹木が53本あり、江東区の富岡八幡宮の周辺は93本が集まる地域の一つです。墨田区の飛木稲荷神社のように、狭い境内に何本も残る場所もあります。[40]

場所樹種いまの姿
浅草寺(台東区)イチョウ焼夷弾が根元を直撃して上半分が焼け、幹の中は空洞で炭になっている。それでも枝葉を伸ばしている[41]
光圓寺(文京区小石川)イチョウ東京大空襲で上部が焼け、幹の内部が空洞化・炭化。ひこばえを伸ばし、青々と葉をつけている[42]
善光寺坂(文京区小石川)ムクノキ空襲で上部が焼け、幹の大部分が伐られたが、生育は良好[42]
新田神社(大田区)ケヤキ戦災樹木の例として研究で紹介[40]

木は幹の中心が炭になっても、外側の生きた層が残っていれば水や養分を運び続けられます。焼けた幹から新しい芽を出し、80年以上たった今も葉を茂らせている木は、空襲の記憶をそのまま体に残した生き証人です。

浅草寺のイチョウと光圓寺のイチョウは、説明がよく似ていますが別の木です。浅草寺のものは境内の西側に立つ樹齢800年余のご神木で、光圓寺のものは文京区小石川の寺の幼稚園の中にあります。どちらも空襲で幹の中が焼けて空洞になりました。

国会前庭:全国の都道府県の木

国会議事堂の前庭には、全国の都道府県から贈られた「都道府県の木」が並んでいます。昭和45年(1970)11月29日の議会開設80年を記念して、全国から贈られたものです。[17] 衆議院側と参議院側にそれぞれ植えられており、滋賀県の資料では、県の木が両側に2本ずつあるとされています。[43]

木は生き物なので、枯れれば植え替えられます。2025年11月18日には、衆議院側の枯れた滋賀県のイロハモミジが、滋賀県産の高さ4mのイロハモミジに植え替えられました。[43] 前庭には、議事堂ができる前から立っている大イチョウもあります。[17]

正門へ向かう道の先に国会議事堂の中央塔が立つ。左手に大きなイチョウ、右手に植え込みと濃い緑の木々
国会議事堂の正門へ向かう道。左手の大きな木はイチョウ。2022年8月1日、車内から筆者撮影。

全国植樹祭と全国育樹祭:東京での開催

全国植樹祭は、天皇皇后両陛下が木を植え、種をまく国土緑化の中心行事です。昭和25年(1950)の山梨県から、都道府県の持ち回りで毎年開かれています。[44] 全国育樹祭は、植樹祭でお手植えされた木を、のちに皇族が手入れする行事です。[45] 東京では、平成8年(1996)に植樹祭が、その木を手入れする育樹祭が平成30年(2018)に開かれました。

年行事会場中身
1996 平成8
5月19日
第47回全国植樹祭山の森:檜原都民の森(檜原村)
街の森:辰巳の森海浜公園(江東区)
海上の森:中央防波堤内側埋立地
テーマ「森がささえる暮らし、都市がはぐくむ緑-東京森隣生活」。参加者約12,000人。天皇皇后両陛下が海上の森でお手植え、街の森でお手まき[44][46][45]
2018 平成30
11月17・18日
第42回全国育樹祭お手入れ:海の森公園予定地(中央防波堤内側埋立地)
式典:武蔵野の森総合スポーツプラザ(調布市)
テーマ「育樹から 木のある暮らし つないでく」。式典の参加者約5,000人。皇太子殿下(当時)が平成8年お手植えのイチョウの枝打ちを、皇太子妃殿下(当時)が施肥をされた[47][48]

1996年の「海上の森」は、ごみと建設残土で埋め立てた土地でした(埋め立ては第6章)。都の資料は、約20年後の育樹祭の時点で「当時何もない埋立地であった会場は、植樹した木々が成長した立派な森に生まれ変わっています」と記しています。[48] この森がいまの海の森公園です。山(檜原)、街(江東区)、海(埋立地)の3会場に分けたのは、多摩の山林から湾岸まで広がる東京の緑を一度に見せる組み立てでした。

お手植えの樹種は、林野庁の開催一覧では「イチョウ、スダジイ」[44]、都の育樹祭資料ではお手入れ対象の平成8年お手植え木として「イチョウ、スダジイ、オオシマザクラ」[45]とあり、資料によって数が異なります。林野庁の一覧(第64回・平成25年まで)で、東京都での植樹祭の開催はこの1回だけです。

出典

  1. 林野庁関東森林管理局 広報資料(高尾山) PDF
  2. 環境省 新宿御苑 見どころマップ PDF
  3. 環境省 巨樹・巨木林データベース 観察コースガイド「新宿御苑」 PDF
  4. 東京都建設局「都立代々木公園の整備計画 答申」 PDF
  5. GLTJP「代々木公園」 リンク
  6. ニッポン旅マガジン「水元公園」 リンク
  7. 東京都建設局 浜離宮恩賜庭園 資料 PDF
  8. ニッポン旅マガジン「林試の森公園」 リンク
  9. 東京都建設局 林試の森公園 資料 PDF
  10. ニッポン旅マガジン「国立科学博物館附属自然教育園」 リンク
  11. 目黒区「駒場野公園」 リンク
  12. 東京都建設局 井の頭恩賜公園 公式ページ「公園について」 リンク
  13. 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 吉祥寺」 リンク
  14. 新宿区「新宿中央公園」 リンク
  15. 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 新宿」 リンク
  16. ニッポン旅マガジン「目黒川の桜並木」 リンク
  17. 参議院「国会議事堂を見る」 リンク
  18. 国土交通省関東地方整備局「新宿御苑旧御凉亭」 リンク
  19. 国土技術政策総合研究所 緑化生態研究室「道路緑化における効果的・効率的な施工・管理手法に関する研究」(平成22〜24年度) PDF
  20. GO TOKYO「日比谷公園」 リンク
  21. ホテルニューオータニ「日本庭園」 リンク
  22. 東京都建設局「東京の街路樹 総括表」(令和5年4月1日現在) PDF
  23. 衆議院「国会前庭」 リンク
  24. GO TOKYO(東京観光公式サイト)「三菱一号館美術館」 リンク
  25. Precious.jp「パーク ハイアット 東京 ピーク ラウンジ」 リンク
  26. 戸栗美術館 公式サイト リンク
  27. All About「東京ミッドタウン」(2007年1月7日) リンク
  28. 港区「港区今昔物語」(神宮外苑いちょう並木) リンク
  29. 国土交通省「観光社会資本の事例」(表参道) PDF
  30. 東京都「多摩のまちガイド 府中市」 PDF
  31. 東京都都市整備局「神宮外苑地区におけるまちづくり ファクトシート」(令和7年12月2日改訂) PDF
  32. CNN.co.jp 明治神宮外苑の再開発計画をめぐる記事(2023年10月6日) リンク
  33. BUILT「神宮外苑再開発で“伐採樹木”124本減らす」(2024年9月11日) リンク
  34. RIEF「三井不動産が「伐採を124本減らす」等の見直し案公表」(2024年9月9日) リンク
  35. 時事通信「神宮再開発、樹木伐採を開始」(2024年10月28日) リンク
  36. 共同通信(秋田魁新報電子版)「樹木伐採、取り消し認めず 神宮外苑再開発、住民敗訴」(2026年5月12日) リンク
  37. 日本共産党東京都委員会「外苑再開発 認可取り消し訴訟が結審」(2026年9月28日) リンク
  38. 東京都「東京都の紋章・花・木・鳥」 リンク
  39. 東京都水道局 玉川上水 年表 PDF
  40. 菅野博貢・根岸尚代「東京都23区に残存する戦災樹木の分布特性についての一考察」『ランドスケープ研究』83(5)(2020年) PDF
  41. 乗りものニュース「都内に意外と多い『街かど戦禍遺産』たち」(2025年3月9日) リンク
  42. 環境省 巨樹・巨木林データベース 観察コースガイド「本郷・小石川」 PDF
  43. 滋賀県「国会議事堂前庭の県の木『もみじ』を植え替えました」 リンク
  44. 林野庁「(参考)全国植樹祭開催一覧」 PDF
  45. 東京都産業労働局 第42回全国育樹祭の資料(平成8年第47回全国植樹祭の概要を含む) PDF
  46. 宮内庁「全国植樹祭へのご臨場」 リンク
  47. 東京都 知事の活動「第42回全国育樹祭」(2018年11月17日・18日) リンク
  48. 東京都産業労働局 第42回全国育樹祭の概要資料 PDF
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